ワンオペ個人教室の危機!母主催のピアノ教室でやっておけばよかった2つのこと
ライターの宇野あゆみです。私の母は、個人でピアノ教室を運営しています。個人宅で行うレッスンですが、なんと12年目を迎え、生徒さんは30名ほどになります。
毎年発表会を行っているのですが、2023年の夏、母が倒れ緊急搬送という事件が!「1か月後に控えたピアノ発表会をどうする!?」となり、なんとか乗り切った記録を残しておきます。
ピアノ教室主催の母が倒れた!?
6月の終わり。
私は昼間、趣味のバレエレッスンに行ってへろへろになっていた。
小学生の息子くんが帰宅しゲームをしている横で、愛用のヨガマットに横たわりながらうとうとしていた。
ふと、妹と母のグループラインを見ると、母からメッセージが。
母がお手伝いに行っているピアノ教室の先生が代わりに打ってくれたメッセージで、
「ろれつが回らず具合が悪いというので、救急車を呼びました。」
目を疑った。
誰よりも明るく元気な(なんなら36歳の私よりも元気な)母が、救急搬送!?
母は「手のしびれとろれつが回らず変な感じがする」と自らレッスン先の先生に伝えらたそうで、発見も早かったのもあり、メッセージをくれた先生が病院に付き添ってくださいました。
妹と父が先に病院に到着し説明を受けた後、私も到着。
時間が遅く母には会えませんでした。
その日は子供たちを旦那さんに預け、私はしばらく実家に滞在することに。
病名は、脳出血。
まひが残るかもしれない、しゃべれなくなるかもしれない、会話ができなくなるかもしれない・・・
色々な可能性が頭の中をぐるぐる回る中、父、妹、私は帰宅。
母のことは心配でしたが、私たちのなかの大きなトピックとして
「1か月後に控えた母のピアノ教室の発表会をどうするか?」でした。
どうする発表会!?宇野家の戦略
私の家族は一風変わった一家でして、家族の話をすると驚かれます。
まず、父・宇野和男
岡山の「テレビせとうち」でアナウンサーとして活動後、東京へ。
ラジオたんぱ(現ラジオnikkei)に入社し、競馬実況アナウンサーとして活動しフリーとなった現役アナウンサー。
そして妹・宇野なおみ
渡鬼の加津ちゃんとしてドラマに出演し、いまはライターや通訳、YouTuberとして活動しています。
私、宇野あゆみは子役として活動しママになり、現在はフリーライターとして活動中です。
母は長年「子役ママ」として私たちについてくれましたが、12年前にピアノ教室を開業し、一人で常時20名以上のお子さんのレッスンを行っています。
一年ほど前から講師の先生に一人来ていただいていましたが、運営もほぼ一人で行っていたスーパーウーマンです。
さて、そんな宇野家のメンバーが集まったらまず思うのが
「舞台に穴をあけられない」ということ。
熱があっても、具合が悪くても「絶対に舞台に立つ」と教えられてきた私たち(今はその限りではないと思います!)
発表会をなんとしてでも行わなければ!と思いました。
でも、まずは母の意思、そして生徒さんたちの意思が大切です。
でも、話せくなるかもしれないとお医者さんは言っていたし・・と不安を抱えながらも
翌日病院へ行き面会。
すると、
「あれ~あゆちゃん、どうしたの?いつ来たの?」
と母。
出血直後なので、ろれつが上手く回らず、聞き取りづらいものの意識はしっかりしている様子。
幸い、頭ははっきりしていてゆっくりなら会話もできる状態でした。
緊急搬送された翌日には話せるようになっていたのでまずは一安心!
「お教室の生徒さんに連絡しないと」「スマホ持ってきてくれた?」と、生徒さんのことをずっと心配している母でした。
まずは母のスマホを持ち帰り、直近でレッスンのある生徒さんにお休みの連絡をしました。
その後、落ち着いてから発表会をどうするか母に聞くと、
「私がいなくても出たいという子には発表の場を作ってあげたい」
とのこと。
母不在で、私たちにどこまでできるかわからないけれど、やるだけやってみようと決めたのでした。
一人運営のお教室、やっておけばよかった2つのこと
一人でお教室を運営する場合、本人が倒れたらどうしようもないのは当たり前です。
常にだれかに手伝ってもらうというのは金銭的にも大変ですが、
「何かあったときに誰かが動ける状態にしておく」のはとても大切だと痛感しました。
私もフリーランスで自分一人で仕事をしているので、最低限なにかあったときにクライアントへ連絡できるよう、方法を考えておかなければ・・・。
母は、入院中もせっせとブログを更新しており、突然の対応について書いていましたが、
私たちが思うやっておけばよかった2つのことをまとめました。
連絡先のまとまった生徒名簿を作っておくこと
発表会云々の前に、まずは決まった曜日にレッスンに来る生徒のみなさんにお休みの連絡をしなければなりません。
母は、生徒さんの名簿をパソコンで作りUSBにまとめて保存していたため、私たちはすぐに名簿データーを出すことができました。
しかし、連絡先が入力されている人といない人がいてバラバラ。しかも日常的な連絡を母個人のラインで行っていたため、生徒さん全員に連絡する方法がありません。
まずは、ピアノ教室の運営アカウントを作り、Googleフォームを使って連絡先を収集することに。
そこはGoogleフォームやスプレッドシートを日ごろから使っている私の出番です!
名前、メールアドレス、発表会の出演意思、代講レッスンを希望するかなどを質問事項として入れ、送ってもらいました。
フォームのURLは、母のスマホを持ち帰った妹が、ひとつひとつ手動で送信!頑張ってくれました~!
名簿はあっても連絡先がまとまっていない、ラインのみで連絡を管理しているというのはけっこうリスキーだったということに気づきました。
個人情報なので管理の徹底が必要ですが、名簿プラス連絡先、そして何人かにまとめて連絡できる手段(G-mailアカウントなど)をあらかじめ作っておくと安心です!
生徒さんのカルテをつくっておくこと
アンケートを送ったことで、生徒さんの発表会出場意思や代講レッスンを希望するかを聞くことができました!
次は、代講レッスンのスケジュール作成です。
今回は、もともと週一回レッスンを担当してくださっていた先生と、母の姉(私の叔母)に担当してもらうことになりました。
急なお願いを快く引き受けてくださったお2人には感謝です!
まぁ、私と妹がピアノの先生として教えることができれば一番いいのですが、私たちは音楽の道には進まなかったので・・・
講師の先生のレッスン可能日と、生徒さんの希望日を照らし合わせ、ああでもないこうでもないとパズルのように時間割を作成。
じっくりやればもっと効率的にできたのかもしれませんが、なにせ日にちがない!
代講レッスン開始日の二日前くらいにやっと時間割が完成し、大急ぎで全員に周知しました。
時間もないし大変だったけど、
代講レッスンをかんばって発表会に出たいと言ってくれた生徒さんと、協力してくれる講師の先生方のお気持ちを胸に、なんとかスケジュール調整を行いました!
代講レッスン日は決まったものの、生徒さんのカルテなど詳細なものを作っていなかったので、講師の先生方は大変だったと思います。レッスンの経過を簡単にメモしておけばよかった、テキストの予備の確保もしておけばよかったと母は話していました。
一人で運営しているピアノ教室なので、「情報共有」って、そもそも誰にするの?という感じです。
でも、「何かあった時のために、万が一に備えて」経過がわかる生徒カルテを作っておくとよいなと思いました。
生徒の年齢、生徒の特長、レッスン年数、テキスト、発表会で演奏する曲など、1か月~季節ごとくらいの頻度で作っておくと安心です。
発表会当日までバタバタ!でも何とか無事終了!
母はリハビリを頑張り、会話は普通にできるようになりました。
まだ足が思うように動かないみたいですが、また子供たちとレッスンしたい!という気持ちが原動力となり、リハビリを継続中。
ピアノも少し弾けるようになり、病院のラウンジにある電子ピアノを弾いたり、ロールピアノを持ちこんで練習しています。
代講レッスンはなんとか終わり、私は発表会の二日前に実家入り。いよいよ本番です。
当日は、父が音響や照明を引き受けてくれ、サプライズで母からのメッセージ動画を流したりと盛りだくさんの発表会となりました。
Googl Meetの会議システムを使い、舞台袖に置いたパソコンを通して病院から本番を見ていた母。
「なんだかあなたたちが舞台に出てたころを思い出した。」と、懐かしい気持ちになったそう。
帝劇、芸術座(現・シアタークリエ)や大阪の飛天など、姉妹で舞台に出演し舞台上でケンカするシーンまであった私たち。
母からしてみれば、自分の教室の発表会を病院からオンラインで見て、20年前の娘たちを思い出すとは夢にも思わなかったことでしょう!
突然のことでパニックになった私たちでしたが、一致団結しなんとか発表会を終えることができました。
当日は、講師の先生をはじめ、ボーカルレッスンを担当してくれている従妹の月桃さちこちゃんにもたくさん助けてもらいました!
明治座で歌舞伎♡
楽しみ♡ pic.twitter.com/CU3851wDHK— 月桃さちこ (@yoilkkusan129) April 12, 2023
たくさんの人に支えられて無事に終えた発表会でしたが、生徒さんや保護者の方にも多く助けられました。
アンケートでは、母の容態を心配してくれ、早く先生に会いたいですとメッセージをくれたり、暖かい生徒さんに囲まれて母は幸せだなと涙が出ました。
もちろん、いい生徒さんたちに恵まれているのですが、母の指導力はもちろん生徒さんたち親子を応援したいという気持ちや人柄のおかげなのかなと思いました。
母のリハビリ状況によりますが、今後は妹と私で相談しながら、母の夢を追い続けていきたいと思っています!